保険金受取人

子供には生命保険金に対する

その後どのようなかたちになるのかは、30年の契約が終了したあともおそらく地権者たちとMとの信頼関係は、かではないが、ともに困難を乗り越えることで生まれた絆は、さらに大きく育途切れることなく続くだろう。まれていくに違いない。「不動産活用事業は、子や孫の代、さらにその先の世代にまで続くおつきあいになるんです。私にとっては、それも感慨無それだけ信用していただける企業になれたこと。Mが、量です」私の錯覚だろうか。
そう語る小林の目がうるんでいるように感じたのは、ネクストコア清久市街化調整区域開発プロジェクト事例Ⅱ常識破りのスピード、5年で完成させた工業団地驚くほど多彩で多様だ。
Mが手掛ける市街化調整区域開発のメニューは、まずは自治体の想い、つまり、その土地をど「行政からの許認可を必要とする事業ですから、それと同時に欠かせないのんなふうに開発していきたいかですね、その方向性を確認します。地権者の方々の意向です。
が、それらをすりあわせながら、はたして経済的にペイする企画が成り立つかどうかを探り、具体化していくわけです」当然のことだと言わんばかりにこう述べるが、これだけの面倒な行程を着実に進め小林は、そう簡単に手に最終的にはビジネスベースでもきちんと成立させていくノウハウは、ていき、なかなか事業化できないの入れられるものではない他の不動産会社が手を出そうとしても、·ケーだけが持つものだと言い切だからこそ、そのノウハウはいまなお、もうなずける。
エムる地権者の要求を受けとめられるかどうかですね。「特に大事なのは地権者の気持ちです。

小型の市街化調整区域開発案件も多数経験大型の開発案件だけではなく、ム·ケーの社員は、地権者と話しあいながら、しだいに地権者の気持ちをつかんでいくポイントしていますから、を、知り抜いているのです」最も手間ひまがかかり、困難を極めるのは、地権者との大型開発案件において、一般的に、「大型開発ならMはそれを得意としているというのだから、合意形成だという。
との定評が確立するのも当然だろう。ケー」農地法や土地区画整理法などの知識、税に関する知市街化調整区域の開発では、さらに、識などが欠かせない。

Mの社員は、それらにも精通し、熟知していると小林は胸を張る·ケーの実力を実証する結果となったプロジェクトが、2013年1月に埼玉県久喜市エムきょくネクストコア清久であるに完成した産業誘致構想に基づ久喜市が、地域の活性化を図るために地元地権者との協議を重ねた末、産業団地開発の事業に着手したのは、2007年のことだっき、六--六事業代行者をプ翌2008年2月に清久工業団地周辺地区土地利用推進協議会が設立され、

Mと清水建設がパートロポーザル方式によるコンペティションで公募したところ、同年8月に清久工業団地周辺地区土ナーシップを組んで応募したプロジェクトが選定された。

倉庫·物流センタープロジェクトが始動。プロ清水建設で基本協定書に調印し、地利用推進協議会とM、「ネクストコ次世代ネクストの核(コア)となるランドマーク産業団地をめざし、ジェクト名は、とした。
ア清久」ネクストコ通常は10年かかってあたりまえという大型プロジェクトであるにもかかわらず、このスピーディな仕事ぶ着手から完成までわずか5年3カ月しか要しなかった。は、ア清么Mの評価をさらに大きく引き上げる要因となったのであるりも、長年の念願だった地域開発を実現したMの実力「豊かな未来を創造する個性輝く文化田園都市」を将来像として、埼玉県久喜市は、東京都心から栗橋町、鷲宮町が合併して誕生した市だ。
年3月23日に日·久喜市と菖蒲町、急テンポでの発展が続いている。
約50キロメートル圏に位置し、居住地域としても人気が高く、県道3号·12号などの幹線道東北自動車道の久喜インターチェンジや国道122号、また、すでにいくつかの工業団地などの産路が通ることから、交通の便に恵まれており、市内には、も、そのひとつだ。

ネクストコア業拠点が整備されている。エム大規模な土地区敷地面積約39万4000平方メートル、同意を得た地権者数168名という画整理により誕生した、埼玉県でも屈指の大規模工業団地である開発計画が頓挫したという、いわくつきの土地だっもともとこの土地は、これまでに2度、何度か開発計画が浮上したが、が発足して以降、その北中曾根を考える会1993年にたびにさまざまな要因から事業はストップした。

それでも地元自治体と地権者は開発の道を模索し続け、産業団地開発事業計画がようやく動き出したのは、2007年のことだった。開発は、地元自治体や地権者にとって、長年の悲願である。久喜市は清久工業団地周辺地区開発計画の公募に踏み切った。
土地利用推進協議会を設立し、Mは、清水建設とタッグを組んでそれに応募したところ、多数の競合のなかでもMの提案は群を抜いて優れていると、高い評価を得たのである。その-方で、「たしかに開発計画はすばらしい。
でも、Mなどという聞いたこともない会社に任せても大丈夫だろうか」と、市長をはじめ行政側の関係者は、多少の不安を持ちながらMと開発契約を結んだというのが正直な経緯だったそうだ。だが、実際に事業が始まると、そうした不安を打ち消すかのように、·ケーは誰も予想エムできなかったほどの熱意と情熱で開発を進めていった。

乙または本件建物に居住あるいは反復出入している者

節税のためにアパートを建てる

縮む世界
特に行政が舌を巻いたのは、地権者との合意形成のスピードだった。これも小林の戦略の妙だった。実は、「地権者が168人もいると聞いて、これはスピードが勝負だと考えたのです。地権者との合意形成は、長引けば長引くほどうまくいきません。長引くにつれて考えがぐらつく地権者が出かえって収拾がつかなくなるのです」てきて、こうした読みができるのも、これまでの経験から得たMならではの知恵と言えよう。そして2011年3月26日、地権者の90%の同意を得たところで造成工事に着手した。
「市街化調整区域案件は、地権者の80%の同意があれば造成工事を進めることができるのです。でも、私どもはさらに慎重を期して、90%の同意を得たところで造成工事の申請をあげ、工事に入りました」この戦略も功を奏し、実際に造成工事が始まると、それまで首を縦に振らなかった地権者も合意に傾いてきて、最終的に残り10%の売買交渉もスムーズに完了した。
これが、5年で開発工事を終わらせることができた最大のポイントだという。

ところが、造成工事の進行とともに、進出企業の選定も順調に進んでいた。

2011年3ネクストコア清么月1日に東日本大震災が発生すると、への進出を計画していた企業のほとんどが、それどころではないとばかりに、いっせいに手を引いてしまっこのとき小林は、「一時はどうなることかと、そうだが、やきもきした」こうした事態を受けて、埼玉県知事の上田清司の号令のもと、県の産業労働部企業誘致課と久喜市の産業基盤推進室が連携し、企業誘致の働きかけを行うことになった。
その結果、キッコーマンと三国コカ·コーラボトリング(現·コカ·コーラボトラーズジャパン)の誘致が決まった。ハウス食品グほかにも、ループ本社(テナント:デリカシェフ、直販配送)、大和ハウス工業、なとり、清水建設(テナント:味の素そうそうたる企業の進出が決定した。

こうして、一大産業系工業団地が完成したの物流)など、であるネクストコア清久の敷地内には保育園も設けられ、働く女性へのやさしい視線が感じられる。
バス路線も新設あるいは増便されて交通インフラも充実したほか、周辺には植栽エリアや緑道も設けられ、以前とは比べものにならないほど都市環境も整えられた春にはイベントが催されるなど、さらには地元の人とのふれあいまた、市民の憩いの場に、の場にもなっている。
奥様方の本音でしょうね三菱UFJ銀行からのお墨つき言うまでもないが、土地の開発·造成だけがMの仕事ではない。土地の売買から建物を建ててテナントを誘致するなどして資金を回収し、回収した資金で金融機関からの借入金を返済する、·ケーは請け負う。そこまでの全行程をエムどんな企業を誘致するか、優良企業を誘致すれば自治体のイその選択は非常に重要です。
メージアップにつながります!と小林が言うように、市街化調整区域の開発は、単なる不動産事業という枠組みを超え高いクオリティを求められる事業なのだ。地域振興や地域活性化という側面もあるため、地元自治体との協議のうえで事業を進めていくが、これを主導し、開発に際しては当然、実際に行動するのは、あくまでもMである。
実現のための苦労は計り知れないほど大きいが、その分、地域振興に果たす役割も非常に大きい。それをスピーディにやってくれるのだから、自治体にとって、Mほどありがたい企業はない。
ネクストコア清久の完成によって、Mの存在感は、業界では不動のものとなっていった。その最大の理由は、「5年で大型プロジェクトを完成させた」という、かつてないス一民間企業が成し遂げた快挙として、ピード感だった。

その情報が瞬く間に全国の都道府県や市区町村などの自治体に広まっていったのも当然だ。「『ネクストコア清久』を5年という短期間で完成できたもうひとつの要因は、資金の手当てがついたことです」と、小林はさらりと言うが、その内情を聞いて仰天した。ネクストコア清久のケースでは必要な資金は土地代と造成費を合わせて110億円で、これは当時のMの年商を上ましかも、土地の買収代金は、造成工事の前に決済しなければならない。わる金額だったのだ。
これを実行するには、さらには金融機関の支援が必須である。相当の企業体力と、都市銀行が市街化調整区域の開発に融資をすることは、一般的に、ほとんどありえない。

開発期間があまりにも長期にわたるうえ、貸し倒れになるリスクも小さくない事業だからだだが、三菱UFJ銀行当時は三菱東京UFJ銀行から50億円の融資を受けることケーは、エム·に成功した。
それは、2000年の旭フーズ関東物流センター(日高市、許可付き土地造成後土地販売)配送センター土地売買·開発許認可·設計、2003年の酉濃運輸和光支店朝霞市、2006年の酉濃

運輸岩槻支店(さいたま市岩槻区、配送センター開発許認可付き造成後土地売買)など、これまでに3万平方メートル、6万平方メートルといった中規模の市街化調整区域案件を次々と完成してきたエム·ケーの実績が評価されたからだ。

土地を所有する地権者全員の賛意,賛同が得られること。

否認の根拠

その手腕を、三菱UFJ銀行はしっかり見ていたのだ。「それまでの案件でも、銀行には工事の進捗状況などをきちんと報告し、信頼関係を構築するように努めてきました。それにしても50億円は、三菱UFJ銀行といえども大型融資ですから、私は担保を差し出す覚悟も決めていたのですが、『当案件を担保にするだけで結構です』と言っ三菱UFJ銀行はて、50億円の融資を認めてくれたのです」小林は、いまでもそのときの感謝を忘れていない。
あのとき50億円の融資を受けられなかったら、ネクストコア清久が完成しなかったことは明らかだからだ。あとで聞くと、三菱UFJ銀行の審査部では、·ケーのそれまでの開発案件の推移をすエムべて把握し、ひとつの取りこぼしもなく完成させてきたことを高く評価していたそうだ。それを聞いたとき、小林は思わず涙したという。
追加担保なしで融資を受けられたということは天下の三菱UFJ銀行から優良企業というお墨つきをもらったことと同義だからだ。
さらに仰天するのは、総工費110億円のうち、融資を受けたのは50億で、残りの00億円はMの自己資金で賄ったということだ。売上高100億円規模(当時)の企業で、それだけの資金ストックを持っているところは、そうはない。「私は創業時から、次のステップに行くためには、常に安定した資金源を持つことと、十分な資金ストックを持つことが必須だと考えてきました」小林は言う。

と、経営基盤は常に盤石でなければならないが、加えて十分な資金力がなければ、初期の市街化Mが市街化調整区域開発のトップ企業になる道も調整区域開発事業の成功は難しく、開かれなかったのではないか。

ネクストコアあきる事例1市街化調整区域開発プロジェクト地方創生の一翼を担う2017年9月、東京都あきる野市初雁地区の土地に、新たな命が吹き込まれた。エムネクストコアあきる野ケーが手掛けたの土地区画整理事業が完成したのである東京都心から40キロメートル圏にある、新宿からJRで1時間程度と電車であきる野市は、のアクセスがよいうえ、圏央道のあきる野インターチェンジが開設されて以降はクルマでのアクセスも容易になったことから、工場などの生産設備の拠点として熱い視線が注がれている地域であるらインターチェンジの近くに土地を有する地権者たちが、「初土地の有効活用を図るべく2000年12月のことだった。
雁地区土地利用計画」の第1回説明会を実施したのは、約2万8800平方メートル。あきる野市の東部、対象となる土地の面積は、JR五日市線秋川駅から南へ約1.2キロメートルという立地にあり、酉側は圏央道のあきる野インターあきがわチェンジ、以前は、一帯は畑地であったが、南側は一級河川の秋川に面している。その後は公栗畑として利用されてきた。

共残土により盛土され、ネクストコアあきる野初雁地区土地利用計画第1回説明会の開催からの完成までには16年以上もの時間がかかったが、たとえ牛の歩みのように遅くとも、歩き続けていれば、い

つかは目的地にたどりつく。2005年3月に圏央道あきる野インターチェンジが開設されると、同年12月に初雁地区土地利用促進協議会が発足した。
この協議会の発足前にMは主要メンバーとの顔合わせを済ませており、いよいよプロジェクトが動きだすかと思われた。
ところが、開発した地区への進出を決めていた企業が撤退することになり、計画をゼロから立てなおさざるをえなくなっ初雁地区の開発プロジェクトがふたたび動きだすまでには、その後、2014年2月に初雁地区土地利用促進協議会とMが基本協定を締結するまで待たなければならなかったが地元自治体や地権者にとっては待ちに待つたプロジェクトの始動であっただけに、地権者との交渉もスムーズに進み、2016年3月には土地区画整理組合の設立認可申請を東京都に提出し、同年6月には組合設立の認可を取得して、造成工事がいよいよスタートした。
そして9月には全工事を完成させている

ネクストコアあきる野と命名され、完成を待ちかねていたように、完成した地域は愛知陸運と水上印刷の2社がすぐに進出した1940年に名古屋市で設立された名古屋操車ト愛知県小牧市に本社をおく愛知陸運は、現在はトヨタグループへの自動車部品輸送と一般商品のラックを起源とする歴史ある企業で、ネクストコアあきる野物流サービスを行っている。
都市の再生と日本の再生あきる野物流センターにはを開設し、東北間の中継地としての役割を担うとともに、となる拠点とし中部関東地区での核(コア)て期待している一方、従来の印刷業の枠を大きく超えた、マーケティング、プランニング、水上印刷は、クリエイティブ·デザイン、制作から品質·技術ソリューション、業務改善、BOPサービス分ネクストコアあきる野野までを手掛けるフルフィルメントセンターを、に開設した両社とも、新たな雇用を生み出し、あきる野市の発展におおいに貢献している。
「この案件は当初、多くの困難が予想されていましたが、地権者のみなさまや地元自治体、東京都のご支援などにより、それらの困難が解決されていき、進出企業様にお約束のスケジュルどおりの工程でお渡しできて、本当にうれしかったですね」小林も得意げだと、なお、ネクストコアあきる野を中心としたあきる野市初雁地区の開発は、地元住民や自治市街化調整区域体からはもとより、東京都内では初のの開発として東京都からも高く評価されており、「平成30年度業務代行者を務めたあきる野市初雁土地区画整理組合は東京都まちづくり功労者」として感謝状を授与された。
それだけにとどまらず、同組合は、土地区画整圏央道に隣接した高い交通利便性という特性を活かした職住近接のまちづくり理事業により、国土交通大臣から「平成30年度に貢献したとして、まちづくり月間まちづくり功労者」の表彰も受けている。東京都に限らず、市街化調整区域の開発に関心を持っている自治体は多いだけに、今後ネクストコアあきる野プロジェクトを牽引したあきる野市初雁土地区画整理組合とともにますます注目が集まるはずだ。
Mの動向には、地方創生を牽引する小林によれば、市街化調整区域農業振興地域活用され現在、地方自治体は、やなど、ていない土地の有効活用に強い関心を持っているのだという。そして、その案件の多くがエム·ケーに持ち込まれているそうだ。その最大の要因は、地方自治体が持つ出口のない深い悩みにある日本の人口減少は、加速度的に進んでいる。
そのうえ、人口は地方から都市へ、はっきり言どんどん流れていっている。地方の人口がどんどん減少しているのえば東京圏へと、つまり、であるすると地方では、働く人も減っていき、消費活動も低下する。
その結果、税収の低減は言うまでもなく、自治体はやせ細っていくばかりなのだ。
家は住宅メーカーで建築します