不動産の新たな可能性を切り開く多様性

生前に妻

地元密着は、でこれは強みになっていると思いますね」地権者から建築の依頼を得て商売をするわけだが、すでにそのころからアパ三浦組は、ト·マンション経営に乗り出す営農家が多くなっていた。借り手がつく保証がなければ、地主としては、こわくて金融機関から金を借りるにしても、それを三浦組に代わってやっていたのがM&Kであり、ここに接点が建物は建てられない。平成三、ゼネコンの三浦組小鮒と小林が仕事を通して知り合ったのは、四年のころである。M&Kがテナント確保のコンビネーションであるが建築部門、突発的というか、なぜか、仕事はうまくまわっていた。ところが、平成十三年の正月に退職小鮒が話す。
仕事では貢献したはずだが、寝耳に水の話だった。をいいわたされる。いまだに理由は不明ですが、働かなければしょうがありません「まったく急な話でした。

そこでタイアップして仕事をしてきた関係もあり、小林のところへ行き話困ったことになり、をしたところ、二つ返事で、明日から来てくれ、と。この言葉には感銘を受けました」印象に残っていると感慨深げであるいまでも、このときの小林の即答は、新しい人生を歩むことになった。以来十一年、残務整理をして、同年11月から、若手の先頭コメントの語調には力強いものが感じられに立ち、現場の陣頭指揮を執る。年齢とは裏腹に、る小鮒がいっているのは、「社員全員が、経営者の感覚を身につけるべき」ということだ。仕事の責任、その所在を述べている。
現場で仕事をするわれわれは、自分たち1「会社という組織でトップはもちろん社長ですが、人ひとりがリーダーという感覚で業務遂行しなければ、迅速かつ質の高い仕事はできませんこれは、そういう点では、現場末端まで、常に切磋琢磨責任の所在のことをいっています。最終決断は小林にありますが、仕事の質を磨きつづける必要があります。
現場判断は適当然、したがって、トップの意向を現場の人間は理解切かつ早急に、という場面が多いわけですね。していなければなりません」軸足を同じにすれば、円滑に機能する。最短組織というのは、トップと組成である社員が、時間で最大効率を得ることはどんな時代でも変わらない。
1日たりとも小鮒はそれを示唆しているのだ。小林は常に百年企業への思いを語る。これについて小鮒は、こんないい方をしている。長嶋茂雄巨人軍名誉監督が、選手引退の折、『巨人軍「若い人は知らないかもしれませんが、切磋琢磨して、各人が自分を磨く。それがは永遠に不滅です』と語りました。これと同じで、二百年と継続されるコツでしょう。
不滅の絶対条件は、仕事に通じ、その蓄積が百年、日々の積み重ねなのです」にせ百年、二百年と続く老舗を見ればわかるが、規模の大小は関係ない。小さな大企業という組りげん織も実際にある。山椒は小粒でぴりりとからい、という俚諺は、どんなケースにもあるわけだそして、その要素,要因は、実は一つに集約される。利益の社会還元なのだ。この姿勢がなければどこまでいっても顧客主体、地元貢献であり、必ず淘汰されてしまう。
因果はめぐるということだたとえ一時、栄華を誇っても、

「バブル経済時代、建設業界は沸きに沸いた。
しかし、後先かまわず調子に乗ったと不動産、ころは、すべて消えたのです」といったら小鮒には失礼かもしれないが、”生の声”やはり亀の甲より年の功、こうしたには、耳を傾けるものがある。すぐれたトップには人が寄る。人が拠るに通じるのだ。魅力があるから小林のと,これは、ろに人が集まり、それが仕事のうえで機能している。

育てるもの企業は人がつくり、会社を立ち上げ、を集めたという小林の方法論は、機能させるために、意識的に”仲間”正しいだろう志を同じにするものが一堂に会せば、組織として強同じ釜のメシを食った同朋、旧知の仲、固になるのは道理だ。きあいあいこれは会社にならない。ただし、イエスマンだけを集めたら、同好会と異なり、和気藹々できちんとした利益を得るための手順、手法はおのずからぁやれるほど会社経営は甘くはない。るその大半は、私の会社であるが、創業社長がうまくいく場合、お前の会社でもある。お互いそのためには、という共通認識を社員に持たせられるケースだ。同じ釜のメシ大切にしようを食う感覚が重要である。
多摩中央ミサワホームで設計室長を務め、平成五年にM&Kに入社している。は、ミサ小林と最初に会ったときの印象をいまも鮮明に覚えワホーム時代に小林の部下だったは、ている企業訪問でフラーッと入っていったら、ちょうど昼時で、「まだ私が大学生のとき、愛妻弁当それが小林との最初の出会いです。大学名を名乗りを食べている方がいらっしゃいました。名刺をいただきました。
一級建築士と書かれていさまざほな話をして、そこには建設部次長·ました。
建築学部の学生から見たら、この資格は先生のような存在で、格好よく映ったもので多摩中央ミサワホームに入社、上司と部下の関係がはじまったのです」そして、す。
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妻名義のものは妻のもの

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その際に小林が「何年かして、小林が独立、会社を興す段になった。会社らしくなったら呼ぶからな」といったという。「その約束を忘れずに呼んでくれました。それでいまがある、ということです」には感慨が深く、開発にかかわったネクストコア清久いまでは第二の故郷とは、そのもとはヘッドリース事業にある。ひととおり、いっているが、なんでも屋としてすべて”棚ボタ”関係してきたのだ。
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平成八年にM&Kに転職している小林との接点はそれほど多くはなかったが、ミサワホーム時代、要所で交差している。

とは親しく話をする仲だった。はミサワホーム時代、木質パネルの設計室に在籍しており、営業マンの岩舘とは、毎日のように顔を合わせていた。一方で、お客のなかにマンションビルの建設というケースがあり、当時、特建事業部の部長だった小林に同行してもらった。

これが最初の接点である後日談だが、このとき、岩舘が絡んだRC鉄筋コンクリート造のマンションは、かなり評判がよく、建築コンサルタントがべた褒めだったそうで、それが小林の耳にも入ったようだ。
不動産の新たな可能性を切り開く多様性話は前後するが、平成八年に岩舘が多摩中央ミサワホームを辞め、ほかの企業に転職が決まり、そのあいさつにを訪れたときのことだ。「ある面では、同業者になるので、今後ともよろしく、とにあいさつに行ったわけです。そうしたらから入社の話をいただきましたが、返事は濁して返ってきました。そのときたまたま小林は出かけていなかったのですね。追いかけるように、すぐから電話その後、がかかってきて、一杯やろうよという話になったのです」岩舘が指定の場所へ出かけて行くと、小林がいたのである。そこでもう、明日から来いという話になった。
なんとも劇的な転換である。「家内がミサワホームのブランドを気に入っていて、M&Kのほうがいいんじゃないか、というわけです。実際、迷いましたけど、すでに決まっていた会社に謝りに行きました。私はえらい汗をかきましたけどね(笑)」M&Kに入社して、いまでも印象に残る小林の言葉がある。それは、10人それぞれを説得まずは影響力のある人物一人を説得したほうがいいぞ、というものだった。

ハッとするより、したと岩舘は振り返る「たとえば10人の地権者がいたら、一人ひとりと交渉するのが重要だと思っていたのです。

ところが、小林にいわせれば、10人、一五人のグループならば必ずリーダー役の人間がいますから、最初はその一人に集中して説得しなさいというわけです。実際、そのようにやって成功しました。視点を変えることの重要さを身をもつて知りました」それはどのような条件の交渉ごとでも、たしかにあてはまるのである。依頼者の依頼を一つひとつ聞くこととは、また別のテーマが隠されている。前提条件があるなこれと同じように、ら、それを覆せと小林はいう。固定観念にとらわれやすい。通常、われわれはどうしても既成の概念、そうすると、見えるものも見えにくくなるのだ。
極端ないい方をするなら、前提条件を見直せば、自分で決めた路線を自分で変えることができる。ものすごく速いスピードで変わる。そうすると交渉ごとの環社会情勢、経済状況、いまは、境も変わってしまう。決めたことを変えるのは結構、勇気がいるが、そうした柔軟な思考、発想を持たないと、いまのような激動の時代には対応できない。これもまた、貴重な示唆であろう。

隠ぺい仮装